新たに哲学を建てるときの哲学史

 新たに哲学を建てるとき、わざわざ新たに建てるのであるから、それ以前の哲学とは違うものでなければならないし、もっと言えば、それ以前の哲学より一層よいものであるのでなければならない。そうでなければ、わざわざ新たに哲学を建てる必要はない。そうすると、独創的な哲学者が組む哲学史は、当然のことながら、その哲学者の哲学を頂点とするものであることになる。そのとき頂点となる哲学以外の哲学の順序を歴史的な順序と重ねるか、あるいはまた別の順序で並べるか、それとも歴史性とは関係なくまったく別様に配置するか、それは新たに哲学を建てる哲学者によって様々であろう。しかし、繰り返すが、わざわざ新たに哲学を建てるならばその哲学が、哲学史において最もよいものであるのでなければならない。

 そうすると、或る独創的な哲学者が組む哲学史は、彼の哲学体系のなかで組まれたものであって、別の独創的な哲学者がその哲学体系のなかで組む哲学史とは、体系間の根本的な違いがあると考えなければならない。すると、体系の外にいる者が、その体系のなかにある哲学史を批判しても無駄であることになる。そうすると、批判するときは自分の哲学体系のなかで新たな哲学史を自ら組み立てていることになる。