真全体と悪全体

 ヘーゲルは真なるものは全体であるとする。個の存在はその全体に支えられているのであって、全体が個に先立つとされる。
 こうしたヘーゲルの考えを全体主義的な国家観と呼ぶひともいる。確かに国家は個人よりより先なるものではあるが、真の全体ではない。というのも国家は有限なものであって、諸国のなかの一つにすぎない。いわば悪全体である。真の全体とは真無限のことである。この違いを理解しておかなければならない。
 真全体にとって私たち個人はどうでもよい。契機となる個が必要なだけでそれは人間が滅びようとも在り続ける。一方で、悪全体すなわち或る特定の国家にとって個人は必要不可欠である。日本という国家が存続するにはそこに住まうひとびとや日本語を用いるひとびと、あるいはこの地で日々歴史を編むひとびとが存在しなければならない。したがって国家にとって個人は無視できない。国家的な全体主義が個人をのっぺらぼうにすれば国家も同様にのっぺらぼうになり解体するだろう。
 国家という全体を論じるときは、真全体とは別のものとして論じる必要があるし、国家はあくまでも有限な個であるということを忘れてはならない。