ヘーゲル

アウグスト・フォン・コッツェブーとヘーゲル

A.W.シュレーゲルに批判され、ヘーゲルにも「下痢便」と揶揄された(1803年11月16日付書簡)当時の人気俗流作家A.V.コッツェブーであるが、彼は1819年に熱狂的な愛国者の青年に殺されたコッツェブーであるようだ。 この事件は当時大きな衝撃を与え、論争を巻…

ヘーゲルの社会哲学と社会の発展

ヘーゲルが社会を哲学的に論じた著作として『法の哲学』がある。この著書のスタンスは序文に明確に述べられている。まずは、そのスタンスを丁寧に追っていく。 『法の哲学』はヘーゲル自身によれば「あるべき国家を構想するなどという了見からは最も遠いもの…

掟の門前

カフカの短編(あるいは挿話)のなかに『掟の門前』という話がある。あらすじは次のようなものである。ある男が掟の門のなかへ入ろうとする。しかし、その門の前には門番が立っており、入れてくれない。また、もし入ったとしてもまた次の門が待ち構えており…

ヘーゲルにおける堕罪論

1、はじめに 『旧約聖書』の「創世記」における有名な堕罪の伝説は悪の問題を扱っていると言える。ヘーゲルは、その堕罪の伝説に則りながら、しかしヘーゲル自身の新しい読みに変えて、悪の問題を説明していく。 ここでは、まず「創世記」における堕罪の伝説…

山口祐弘著『意識と無限ーヘーゲルの対決者たちー』(近代文藝社,1994)を読んで

山口祐弘著『意識と無限ーヘーゲルの対決者たちー』(近代文藝社,1994)からのまとめ。 ・カントの実践哲学における自由ないし自律の他律への転化(53-54頁) カントの実践哲学は、理性と感性との対立を前提とし、自由を感性的自然(必然性)からの離脱、道…

真全体と悪全体

ヘーゲルは真なるものは全体であるとする。個の存在はその全体に支えられているのであって、全体が個に先立つとされる。 こうしたヘーゲルの考えを全体主義的な国家観と呼ぶひともいる。確かに国家は個人よりより先なるものではあるが、真の全体ではない。…

Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftigについての二三の考察

ヘーゲルの『法の哲学』(『Grundlinien der Philosophie des Rechts』)の序文での有名な一節。 Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig. よく目にする訳では「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である。」…