カントにおける判断力

1、規定的判断力と反省的判断力

 カントの言う「判断力」には二つある。一つは規定的判断力と呼ばれ『純粋理性批判』に見られるような悟性に仕える判断力のことである。これは既にアプリオリな形式としての普遍が与えられているので、ただ対象や行為をそれらの形式に適応させ規定する能力である。もう一つは反省的判断力である。これは『判断力批判』における判断力であり、規定的判断力とは異なり予め与えられている判断の範型はない。現に現れているだけの生の素材から普遍的なものを発見するような働きがここでの判断力となる。つまり対象に意味や価値を付与する働きである。以上のことから、規定的判断力は対象を普遍に当てはめる能力。そして反省的判断力は対象から普遍を発見する能力であると言える。

 

2、反省的判断力における美学的判断力と目的論的判断力

 反省的判断力には美学的判断力と目的論的判断力がある。美学的判断力において、人が何かを美しいと判定するとき、何らかの利害関係や意図が存在するわけではなく、ただそれ自身の性質ゆえに美しいと判定される。また美的判断は趣味判断でもある。この趣味とは意に適うことである。言い換えれば自らの目的に合うこと、つまり合目的性を意味する。例えば人がある花を美しいと判断するとき、その花は彼の意を満たす目的のために咲いているのではないにもかかわらず彼の意に適ってしまう。これを目的なき合目的性と呼ぶ。さらに客観的に目的が前提されていないにもかかわらず観察者にとって合目的であることから主観的合目的性と呼ばれる。美学的判断力では自然は実質もなくただ意に適うだけの主観的合目的性に限られていた。しかし例えば「全ての生命現象は生命の維持という目的に基づいている」といった考えのように、目的論的判断力では自然そのものが客観的合目的性として判断される。

 以上をまとめると、美学的判断力では美的判断は自然が偶然観察者の意に適ったに過ぎず、自然がそもそもどのようなものなのかは問題ではない。一方目的論的判断力では自然そのものの客観的な合目的性が問題となる。これが両者の違いである。

 

参考文献

石川文康,『カント入門』,ちくま新書