Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftigについての二三の考察

 ヘーゲルの『法の哲学』(『Grundlinien der Philosophie des Rechts』)の序文での有名な一節。

 

 Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig.

 

 よく目にする訳では「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である。」というものがある。ただ後に見るようにseinではなくwerdenなので「である」という静的な表現では汲み尽くせない、生成という動的な含みがある。

 中公クラシックスの藤野・赤沢訳では「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である。」となっている。「こそ」がついているが、これがどうしてついているのか分からない。際立たせるためだろうか。

 

以下、原文を見て私が気づいた点。

・istではなくwird(werden)

・wirklich(:現実的な)→wirken(:活動する、仕事する、作用する、影響するetc.)→Werk

・後文のdas Wirkliche(現実的なこと)がdie Wirklichkeit(現実)でないこと。あくまで「的なもの(こと)」であって「現実そのもの」ではないこと。

 

 以上の点を踏まえて私なりに試訳してみると次のようになる。「理性的なものは、現実的になり、現実的なものは理性的になる。」。「なる」と訳すと未来にそう「なる」というニュアンスがあるようにおもえるが、ヘーゲルの言いたいことは過去にもそう「なって」いたし、今もそう「なって」いるし、未来でもそう「なって」いるということ。